mikutterの進化
3.3
mikutterにとって、2015年はbugfix以外のアップデートが史上最も少ない(一度しか行われなかった)年でした。その唯一のアップデートが3.3でした。例年ならここに、3.3で変更した内容を書いていくところですが、今回1つしかリリースしていないので意味がないんですよね。複数あれば、一つの記事でそれらの変更が全て見られることには意味があるんですが、まだリリースされて間もないので、このブログを読むような人なら全部知っているわけです。
mikutter 3.3の新機能
みくったー さんてんさんの しんきのう、575だ
5年目の記事を見ていると、どうやら誕生日にリリースできたのは今回で二度目らしいです。ほかにここに書くべきことはありませんでした。
周辺の動き
mikutterの薄い本
コミケお疲れ様でした。今年は、夏のOSC Kyotoが初出のmikutterの薄い本vol.8、C89ではvol.9の二冊が頒布されました。夏はダウンしていたので何も出来ませんでしたが、C89には参加もして、ブースをジャックしてました。C89の私の記事では、Minecraftサーバを操るためのコードをmikutterのプラグインシステムを用いてきれいにまとめる方法をとおして、Pluggaloidについて説明しました。
残念ながら記事はまだWeb上には公開されていませんが、今回使用したコードは私のgithubリポジトリから入手できます。
vol.9は他にも神棚の話や、事故をマネタイズする話、つついさんに狙われている人の話、バニラ環境における高効率ゾンビピッグマンTTの話、果ては謎のギャグ漫画など、mikutterとは何なのかを読者に問いかける哲学書でした。
OSC
今年も各方面で開催されるOSCでNetBSDな人たちがmikutterブースを展開して宣伝してくださっていたようです。ありがとうございます。夏はOSC Kyotoに参加しようとしていたのですが、入院期間と重なってしまったので急遽喫茶室長に頼んで薄い本頒布所にしてもらいました。関西ではmikutterの薄い本を入手する機会が少ないので京都は重要なのです。
mikutterの危機
mikutterを利用している沢山の人に心配していただいたようでありがとうございました。その後元気になったということはご存知だと思いますが、コミケに行った時に、思ったより心配かけてしまってたのかなと思ったので、少しだけ触れておこうかなと思います。mikutter 5年目の記事では
やっぱり、仕事が平和だとくだらないことに時間を使えるので、mikutterが充実するんですねなどと書いていました。いや本当にこれだ。
今年は早速前半はつらい感じなのですが、いろいろ進めていけたらいいなと思いますおめでたいやつだな。
いろいろ書いてしまうと角が立つので抽象的なことしか書きませんが、健康には気をつけて、などとは申しません。体調管理の権限が無くなったその先に、本当の†ヤバい†がある。マイナーなOSSプロジェクトでは開発が停止した後にフォークされて別の道を歩む可能性は低いでしょう。mikutterのような極めてくだらないソフトウェアでは尚更です。普通に考えてこんなものを5年も開発しているのおかしいですからね。この記事のタイトルは見たくない。
Twitterクライアント開発終了ガチャの抽選テーブルは、
- [DR]Twitterに愛想尽かして終わる
- [R]心ないユーザの罵倒でモチベが消えて終わる
- [N]誰にも気づかれずに終わる
…という具合になっていて、これはこれで後味が悪いのですが、mikutterが[UR]一身上の都合 を引き当てることなく持ちこたえて本当に良かった。良かったな。なんやかんや言って、続くことは良いことだと思います。
Twitterクライアントにとっての5年
伝統的に毎年初めの記事を「mikutter n年目」としていますが、これは「n-1歳になったので今年から開発n年目」ということです。だからmikutterは5歳です。去年の記事とか自分が混乱してしまっていて微妙に数字が間違ってますね。来年の俺がこれを見ていたら、彼から見て一昨年の記事を直してくれることでしょう。ややこしいな。2012年、API 1.1/Display Requirementsの制定によっていくつかのTwitterクライアントは開発終了を宣言、いくつかは開発のモチベーションを失い、事実上の開発停止状態になりました。その中に、TwitやP3のような、現在から見れば殆どTwitterと同時に生まれたようなTwitterクライアントがあったことは、まだ記憶に新しいです。これらは2007年に開発が始まり、2012年に開発停止を発表しました。5年の間に、Twitterにはそれだけの変化があったのです。
あの頃の騒動を覚えている身としては、いろいろ考えさせられてしまうものです。とはいえ、黎明期を支えた彼らのような高い志があったわけでもなく、ただなんとなくmikutterはここまで生きてきてしまいました。こんなことで良いのかな、と思うこともありますが、気張り過ぎないからここまで無理なく続いているのだろうとも思います。
まとめ
ここ数年、「今年はあんまり何も出来なかった」がボジョレーヌーボーみたいになってますが、mikutterはここまで続いたことは事実ですし、まだ当分歳を重ねていくことでしょう。一応、今年はこれをしようみたいな目標もぼんやりとあるので、何かしらのアップデートはあると思います。今年もそんなテキトウな感じで、よろしくお願いします。